樹録


k-nakama:

建築家、山田守の出発点は、
1920年(大正9年)、
東京帝国大学建築学科卒業直前に、
同級生5人と結成した、
日本初の建築運動、
「分離派建築会」でした

「建築は芸術である」と主張した、
この「分離派建築会」の作品は、
当時ドイツで流行していた、
曲面や曲線を多用する、
「表現主義」の影響を強く受けたものが多かったのですが、
中でも、山田守の作品は、
その「表現主義」的な特徴を代表するものでした

http://knakama.seesaa.net/article/388077185.html

『建築家山田守作品集』の「作品リスト」によると、
現存する、一番古い山田守の建築は、
この「門司郵便局電話分室(現NTT門司電気通信レトロ館)」です

その「分離派建築会」から4年後の建築

アーチ状の列柱が、
角でグニャリと曲がりながら、連続しています

後年には、徐々に、
近代建築の影響を受けて、
よりシンプルな表現へと接近していくことにはなるのですが、
それでも、生涯にわたって、
こうした曲線・曲面を用いた、
流麗で、ダイナミックな表現に、
執拗に、こだわり続けます

新しい建築の影響を受けながらも、
自らの感覚に根ざした、「初期衝動」のようなものを、
最後まで失いませんでした

若き日の主張、
「建築は芸術である」を貫いた、
特別な建築家の一人

(via chomiee-c)

— 4 days ago with 40 notes
gurafiku:

Japanese Poster: Heizoose Aloha + Supply. Hirofumi Abe. 2012

gurafiku:

Japanese Poster: Heizoose Aloha + Supply. Hirofumi Abe. 2012

— 4 days ago with 431 notes

よっちゃんがいなくなった

ずっと一緒に、兄弟ってずっと一緒に生きていけるものだと思ってた

声が聞けない笑顔が見れない一緒に出かけられない一緒にご飯が食べれない

最後に何を感じて何を思っていたんだろう

もう聞くこともできない

一番いなくなって欲しくないひとだった

一番話をきいてあげて支えてあげなきゃいけないひとだった

誰よりも家族のことを思って誰よりも優しいひとだった

誰に悩みを言えていたんだろう誰かに言えていたのだろうか

私はたとえ母親がもう母親として家族に戻ってこれなくても

兄弟さえずっと一緒にいれればそれで救われる気がしてた

でももう揃うことはないんだ

将来のことを語り合って

くだらないことで笑って

相談しあうこともできない

毎晩よっちゃんの写真を見てるよ

好きだったものに出会うたびにいつも思い出すよ

生きた証はちゃんとあるのに姿がない

声が聞きたい

話がしたい

もう一度名前を呼んで欲しい

ただただ会いたい

どうして死んだの

どうしてよっちゃんだったの

どうして

時間が経てば治る怪我みたいにすっとひいていくものなんかじゃない

時間が経てば経つ程悲しみは濃くなってく

寿命なんかじゃなかった

もしもなんて思っても時間は戻せないのに

もしもあの時

後悔ばかりが頭の中を巡ってそればかり考える

— 1 week ago
gurafiku:

Japanese Poster: Pottery and Life. Ryotaro Sasame / Sprout. 2013

gurafiku:

Japanese Poster: Pottery and Life. Ryotaro Sasame / Sprout. 2013

(via chomiee-c)

— 3 weeks ago with 1820 notes

yamada fudosan logo

yamada fudosan logo

(via chomiee-c)

— 3 weeks ago with 307 notes
masao-takahata-illustration:

第2回森のカフェフェス in ニセコ
スタンプ用イラスト

masao-takahata-illustration:

第2回森のカフェフェス in ニセコ

スタンプ用イラスト

(via chomiee-c)

— 3 weeks ago with 18 notes